目次
自分に向き合う時間を。
このブログでは、セルフケアとしてハーブを楽しむアイディアをはじめ、植物療法・幸せ思考 といったキーワードに沿い、自然体の自分で幸せに生きるヒントをお届けします。
代わりの利かない自分自身ともっと向き合い「人生たのしい!!!」そんな時間を一緒に作っていけたら嬉しいです。
運営者プロフィール(簡易版)
Nanae / 1989年4月生まれ。ベトナム在住4年後、コロナ真っ只中に本帰国。
大学卒業後は日本語教師として国内外の教育機関に勤務。
現在はベトナムの高等教育機関において日本語教育に携わりながら、プライベートで植物療法を学び中。
米国ハーバルアカデミーにてIntroductory Course 修了。
現在 Intermidiate Course を受講中。
好きなことは、植物・旅・読書・英語・おやつ作り・映画や海外ドラマ・ヨガ etc
得意なことは、デザインをすること。(過去の作品はこちら)
好奇心旺盛・好きになったら一直線・やりたいことは全部やる・石橋を叩いて割る(しっかり者だけど何かやらかす)・一人時間が好き。
苦手なことは、団体行動・人が多い所・寿司や刺身など生もの。
*****
数年前、ブラックな教育業界に疲弊しストレスで病気をしたこときっかけに人生を見つめ直します。
夢を叶えても心が満たされないのはなぜ???
自分らしく幸せに生きるためには、自分には何がたりないのか?を長らく探ってきました。
- 自分らしく心身ともにヘルシーに生きたい
- 周りと比べず自分を大切にしたい
- 好きなことで人生を満たしたい
そんな想いをお持ちの方に、植物療法を用いたセルフケアや幸せ思考を通して「自然体の自分で幸せに生きるTips」をお届けします。
一回きりの人生。好きなことや美しいことで埋め尽くして、走馬灯が流れる時すら楽しみたい。そんな生き方を私は目指しています。
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Podcast : SIMPLY HERBLIFE by nanae
もっと詳しいプロフィール
ここからは私の約30年の人生を振り返ります。とっても長いので、お時間のあるときにゆっくり読んでくださると嬉しいです^^
植物療法を学びはじめたきっかけ
きっかけは、ベトナムに来てから。
現地の方と一緒に過ごす中で、様々な「ベトナム流 民間療法」が暮らしの中で大切に伝承されていることに気がつき、関心を持ったことが始まりです。
私の知っているベトナムの方達は、あまり薬に頼ろうとしません。その代わりにハーブを始め植物の力を最大限に利用し、体の調子を整えています。(ブログでも少しずつ紹介しているので興味のある方はこちらからどうぞ)
風土に合わせた「植物療法」が暮らしのあらゆる場面で活用されていて、何かあればすぐ薬に頼っていた私にとっては、自然の力を信じるベトナムの方達がとても素敵に感じられました。
と同時に子供時代、祖母から教わった季節の手仕事を思い出し懐かしい気持ちになりました。
春は、ヨモギやツワブキなどの山菜を採りに山へ行き
夏は、海へ行き、貝や海藻を採ったり
秋は、柿や栗を拾いに山へ登り
冬は、干物やお餅など、保存食の作り方を学ぶ。
道すがら、植物の遊び方や食べられる草花を教えてもらったり。転んだらヨモギをちぎって傷口に当ててもらったり。自然に寄り添いながら最適に暮らす知恵や学びにワクワクした思い出が、自分の中にもあることを思い出させてくれました。
もっと植物療法を知りたい。そう思ったら即行動。あっという間に植物療法を学ぶコースに申し込んでいました。
自然とともに過ごした子供時代
私は山口県の田舎町に生まれました。
なーんにもない小さな町ですが、海と山に囲まれた自然が豊かなところです。
父は漁師だったので、よく夕食には煮付けや刺身など新鮮な魚が並びましたが、当時は魚ばかりでうんざりでした。
子供時代の私は母曰く、好奇心の塊で「右見て左向いたらもういない。」
とにかく外で遊ぶのが好きで、家でじっとしていられない子供。
熱射病でフラフラしながらも浜辺で遊び続けた夏の日のことを(達成感がありすぎて)自分でもよく覚えています。
膝から下は傷だらけなので、学校で体育座りをするときに「自分の足きたねぇ」とよく思っていました。笑
それでも飽きることなく来る日も来る日も海や山へ行き、好奇心を満たしてくれる自然の中で遊びまくり、のびのびと成長。
そして興味や関心事は自分でやって納得しないと気が済まない我の強さ・やられたらやり返す負けん気を備えていきます。
ジャイ子の存在
負けん気の強い私はよく学校の帰り道に、体の大きな幼なじみ(通称;ジャイ子)にケンカを売っていました。もちろんジャイ子から売られた喧嘩もばっちり買います。
雨の日にびしゃびしゃになりながら傘を振り回しケンカしたのを覚えています。
力ではジャイ子に敵いませんが彼女より足は早かったので、仕返し直後にダッシュで逃げ切り「勝った」と思い込むのが私の常套手段。
私はいつもジャイ子に勝ちたかった。なぜかというと、誰にも指図されたくなかったからだと思います。子供の世界でも大人の世界と同様に、理不尽なことってたくさんある。
弱い者は強い者に従うべき、みたいな。そういう理不尽に子供ながらに対抗していたんだと思います。
誰かが決めるんじゃなくて自分の行動は自分が決めたい。
そこにかける熱量が半端ない子供だったと思います。ちなみにジャイ子とは今でも地元に帰ると必ず会う仲良しです。笑
人の役に立つことが好きだと思えた場所
私の一番のお気に入り場所は、海でもなく、山でもなく、祖母のお店でした。
祖母は小さな商店を営んでいました。
お客さんが用もなく立ち寄りおしゃべりをしたり、みんなで一緒に花札や編み物をしたり、お店というよりも、こぢんまりしたコミュニティのような、思い出すだけで心がじんわり温まる、そんな場所でした。
いつか祖母のお店のような、居心地が良い場所を作りたいな、と思っています。
学校から帰ると玄関にかばんを投げ捨て、ダッシュで祖母の店へ。そこでは祖母のおてんばをすることが大好きでした。
あれするなこれするなと言われる学校とは違い、やりたいことは何でもやらせてくれる祖母。
お勘定をしたり、袋に商品を詰めたり、祖母とお惣菜を作ったり、出来上がったものを計り、パッキングしたり値段を書いたり。時には配達やおつかいをしに行ったり、店番も任せてもらいました。
お客さんである地域の方にもたくさん褒められ、頼りにしてもらえることがすごく嬉しかった。自分から進んで人の役に立つってこんなに楽しいものかと、学びました。
とくに高齢の方は漢字が読めない方が多く、みんなの代わりに電話帳から「○○さんちの電話番号」を探すことが私の重要なミッション。なので小学校の勉強では漢字が一番得意だったのを覚えています。
人の役に立つことや、誰かのサポートをする。そんなことが好きになれたのは、ここでの経験が基盤になっているように思います。
語学にめざめ、海外に憧れ始める中学時代
そんな私にも中学生になると、まともな夢ができます。
それは「海外で日本語を教える先生になること」
日本語教師になりたかった理由は、英語を勉強することが大好きで楽しかったから。好奇心旺盛で色んなことが中途半端になりがちな私が、今でも続いていることの一つです。
自分が頑張って勉強すればするほどALTを通して上達しているのが実感できて、すごく嬉しかった。ALTのおかげで英語を学ぶ楽しさを感じられたので、今度はその楽しさを世界で日本語を学ぶ方にも伝えたいと思ったのです。
好きになったら一直線タイプなので、分厚い英和辞書を買ってもらい音楽や映画・雑誌を用いて自主的に英語を勉強し語学にのめり込んでいきました。
人生に大きな影響を与えてくれた人
中学生のころ大好きだったのはアヴリル ラヴィーン。
ずっと理不尽に対抗してきた私は、「自分は自分でいい!」的なアヴちゃんのまっすぐな考え方に共感し、背中を押され、ものすごく影響を受けました。
群れるのが好きではない私は、本当はアヴリルのようにゴーイングマイウェイを貫きたかった。でも、そんなことをすると完全に浮きます。どこかのグループに属していないといじめられたり、影口を言われる、思春期特有の面倒なやつ。
田舎の中学なので1学年1クラスしかなく、クラスで浮けば = 全校生徒に知れ渡り、恥をかく。それが怖くて、嫌われないように、目立ちすぎないように、グループに入れてもらえるように、本当の自分を抑えて周りに合わせるようになりました。
なりたい自分でいたくても、できない。そんな私の中で、ますますアヴリルがかっこ良く映る。
いつか彼女が育ったカナダへ行ったら何か自由になれるんじゃないか?
外国ならこんな苦しい思いをしなくて済むんじゃないか?
そう思うようになり、より海外へ憧れを持つようになります。
楽しくてあまり覚えてない高校〜大学時代
その後、英語科のある高校へと進学し、二年生の夏には初めての海外を経験しました。クラスメイトと共にオーストラリアはブリスベンへ3週間の語学留学でした。
ブリスベンは、自然と街が共存しているとても素敵な街です。今までテレビや雑誌でしか見たことのなかったビッグサイズな世界が目の前にあることに、とても感激したのを覚えています。
それ以外に高校のことはあまり覚えていません(笑)
「人生テキトー」とか言って、くだらないことでゲラゲラ笑って過ごしたのを覚えています。
大学で上京したり都会へ行くクラスメイトが多い中、人が多い場所が苦手な私は、県内の日本語教育過程のある大学に進学。そして日本語教育と中国文化を専攻しました。
当時の日本語教育では中国からの留学生が多かった、という理由だけで中国文化を選んだので、英語ほど好きではありませんでしたが、良い先生や仲間に恵まれ、それなりに楽しみました。
大学2年生の夏には、山東省の大学へ3週間の語学留学をしたこともあります。みんなでお腹下しっぱなし、トイレ争奪戦でツラ楽しかったです。笑
霧で何も見えやしない泰山(有名な山)に登らされたり、帰国直後に私だけ豚インフルエンザを発症し即入院したり。中国からインフルをもらってきたぞと大学やクラスメイトに大迷惑をかける事件も巻き起こしました。
このままでいいのか。カナダで自分の好きを見つめる
このまま社会人になってしまったらもう2度と海外へ行けるチャンスがないかもしれない…何故かそんな風に思った私は、大学3年が終わった後に憧れ続けたカナダへワーホリに行きました。
バンクーバーに半年、隣の州のバンフに半年ほど滞在しましたが、どちらも一生忘れることのできない最高の時間を過ごしました。
まだカナダに着いて1週間も経っていないのに「カバン可愛いね!YOUカナダの移民になりなよ!」って市役所の人に言われたことや
レインボーデイにはゲイの人たちが好きな格好で街をパレードするお祭りにも衝撃を受けました。同性愛者であることをオープンにし、それをバンクーバー中の人々が一緒に祝福しているなんて、こんな素敵なお祭りは見たことがありません。
どんな人もウェルカム!!
個性をありのまま受け入れてもらえるカナダは本当に素敵な国だなと感じました。
もちろん楽しいだけではなく、ビザが9ヶ月しかもらえてなくて困ったり、お金がないと選択肢がないというリアルにもぶちあたったり。口から出てくる言葉は中国語…英語が全くできなくなっている自分にもショックでした。
それでも頼れるのは自分だけなので、自力でなんとかする力や自分を信じる力がメキメキ育ちました。
カナダ生活では、自分が自分を頼りにできる存在として大きく変われた気がします。「私がいればきっとどこに行っても大丈夫」と、自分自身に思えるようになりました。
カナダで印象に残っているのは、自然の美しさ。雄大なカナダ大陸の大自然には、ハッと息を飲む美しい瞬間がそこかしこにありました。
マイナス20度くらいになると空気中の水分が結晶化し、陽に当たると辺り一面がキラキラ輝き出します。これをダイアモンドダストと言うらしいのですが、今でも鮮明に思い出せるほど心に残っています。やっぱり私は自然の中にいるのが好きだなぁと、大きくそびえるランドル山を毎日眺めては感じたりもしました。
そして。自然豊かなカナダでは、エコやオーガニックなど環境保全に関する人々の意識がものすごく高い。私もそんなカナダ人に影響をうけ、次第に関心を持つようにもなりました。
またしても理不尽に直面した就活
日本に帰国後は日本語教師になるための就活をする予定でしたが、時は2012年。
東北大震災の影響で求人は皆無に等しく、やっと見つけたと思うと経験が求められたりと、思うようにいきませんでした。いろんな企業説明会に参加してはみたものの、心の底から「働きたい!」と思える会社が一つもありませんでした。
カナダへ行って関心を持った環境保全やエコに貢献できる仕事をしようと路線変更するも、当時の日本ではまだ新しい分野ということもあり、これまた求人そのものが、無い。
そんな中、好んで使っていた John Master Organicというオーガニックコスメ製品を正規輸入している会社を見つけました。
「よし。私はそこで働きたい。」
良いのか悪いのか、ここで私の一直線が発動。もうそれ以外の会社には1ミリの興味も関心もありませんでした。
しかし、あろうことかその会社も中途採用しかしていませんでした。経験がないなら情熱を伝えるしかないと思い、自分の想いを手紙に書いて履歴書を同封しラブレターを送り付けました。笑
まだ可能性はあるかもしれないし、自分で納得するまでは諦めない、わりと粘り強い性格なのです。
返事はメールで頂きました。新卒を育てる体制が整っていないことや、感謝の言葉が書かれてありました。でも、担当者の名前すら書かれていないことに、経験が無い者はそんな扱いなのかと切なく感じたのも覚えています。
何も無い自分は社会に不要な人間なのか
日本語教師になりたくて勉強してきたのに。環境保全で社会に貢献したいのに。
求められる条件は「経験」ばかり。じゃどうやってその経験を得ろというんだよ…と社会の矛盾に苛立ち、同時に周りは次々と内定をもらう中で「何も持っていない」自分に自信を失います。
そしてそもそも。私は就職活動も面接も嫌いでした。
まず、知らないおじさん達に自分のことを品定めされることが不快。みんなが同じ服装・同じ髪型・同じ時間に集まって同じ質問されるのも違和感。いかに「企業が求める人物」になりきるかが採用の決め手といわんばかりのあの雰囲気も、私には全てが嘘っぽくて苦痛でしかありませんでした。
カナダでは「ユニークな個人であること」が認められ・受け入れられていたのに、日本へ帰ってきてからのギャップにすごく違和感・モヤモヤを感じていました。
他にしたいことも働きたい会社もないのに、それっぽい理由をつけて面接を受け、特に興味もない会社から採用通知をいくつかもらいましたが「自分には価値がないのでは」という恐れを払拭したくて。それだけのための就活でした。
夢は叶ったけれど…魔の3年間
大学卒業を目前に控えた2月に、新卒も対象にしている日本語教師の求人が見つかりました。もう、藁にもすがる思いで面接へ。
これを逃したら「今までやってきたこと全てがパーになる。」それくらいに思っていたので入念に準備をして臨みました。結果は、採用。
ずっと夢見た日本語教師として働くことができると思うと、ものすごく嬉しくて人生で最高の日にすら思えました。
それから3年間、日本語教師として一生懸命、働きました。
ただし、想定外だったことがあります。それは日本語教育の世界もだいぶブラックだということ。(もちろん、そうでない学校もある)
仕事量が多く毎日朝から晩まで働き、帰ってからやっと自分の授業準備に取り掛かれる。留学生の関係で夜中に警察に呼び出されたり、体調が悪い子がいれば病院へ連れて行く。それが2時でも3時でもボランティアで。そんななので土日は泥のように寝る生活をしていました。
今の私ならきっとさっさと辞めているだろうけれど、当時は経験が無いことで苦しんだ就活があったので辞めたくても辞められない。病気になるまで「とりあえず3年」と、自分を犠牲にして働いていたので、この頃からストレスマネジメントや自己啓発の本をたくさん読むようになりました。
自分が本当にしたいことって?人生を見つめる時間
あとはこちらの記事にも書いてある通り。3年目にはストレスで体調を崩してしまい、初めての入院・手術を経験しました。
3週間の入院中、自分と向き合う時間がたくさんできました。
それがきっかけとなり、思い切って辞職に踏み出す勇気を得たわけですが。もし病気にならなかったら?もっと軽い病気や症状だったら?ダラダラと今でもその仕事を続けていたかもしれません。
辞職後は1年ほど療養しつつ、今までやりたくてもやれなかったこと、好きなこと、ワクワクすること、行きたい場所、新たな趣味など、自分を取り戻すかのように活動しました。
「私の人生、このままで良いの?」
自分と向き合うことを重ねると、日増しにそう感じるようになりました。もっとやりたいこと、行きたい場所、叶えたいこと、たくさん希望を持っている自分に気づいたからです。
途中、大好きな人にフラれるという失恋も手伝って、自分を幸せにできるのは自分しかいない!という悟りも得ました(笑)
そして14才の自分自身の夢を叶えるため「海外で日本語を教えよう」と動き始め今に至ります。
そして、現在。
ベトナムへきて3年が経ち、相変わらずエンターテイメントな毎日を過ごしています。
土日は誰にも会いたくないし1日中寝ていたかった私が、言葉も知らないベトナムの街を練り歩き、人に出会い、知らなかった世界をこの目で見て味わい、たくさんの学びの中を楽しく過ごしているなんて想像できなかったと思います。
周りや社会ではなく自分の心の声に従う大切さを、ものすごく実感します。
「あなたが生きたい人生を生きたらいいよ。」
これは事あるごとに母が伝えてくれる言葉。地元から遠い高校に行きたいと言った時も、カナダに行きたいと言った時も、ベトナムへ行くと言った時も、私のしたいことを尊重してくれ、必要な時には手を差し伸べ、いつも応援してくれました。
思い返せば親の理想を押し付けられたり、あれしろこれしろと指図されたりもせず、いつも見守ってくれていました。今更気づくなんて。本当に、ありがたいですね。
生きたい人生を生きるための、人生理念
病気になって以来「私らしく生きるためには?」「私が生きたい人生とは?」を追求しながら生きています。
そんな私が日々の暮らしの中で大切にしている人生理念は、例えばこんなこと。
- 自分に誠実でいること
- 心身ともにヘルシーでいること
- ひとりの時間を持つこと
- 好きが発動したら即行動
- ストレスからは全力逃走
「生きたい人生」の答えはまだ探している途中ですが、でも「人生楽しい!」です。
あの魔の3年間ですら”いい経験”として自分の中に上書きされているのですから、自分らしく生きることに近づくと、ネガティブもポジティブ変換されてしまうスーパーパワーがついてくるのかもしれません。
このブログで成し遂げたいこと
社会や周りの物差しに合わせて自信を失ったり、頑張りすぎて身体も精神もすり減らせたり、現状を変えたいのに一歩が踏み出せなかったり、自分自身のことが分からなくて好きになれなかったり、頼れる人がいなくて辛かったり。
そんな苦しい時期もあった私ですが、これからは常識やルールに囚われすぎず、自分にとって本当に大事なことを見極め・本質を大切にする。そんな風に生きてみて、その結果どうなったのか、ここでもお伝えしていきたいなと思います。
もっともっと人生楽しみたい!!そう思っているので、これからもどんどん着せられていた価値観を脱ぎ、中学の私ができなかったゴーイングマイウェイを叶えてみたいなと思っています。
自分の心に素直に、自分らしく、自然体で生きてこう。
そんなメッセージが伝わるといいなと思います。
You must be the change you want to see in the world.
あなたがこの世で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい。マハトマ・ガンジー
ここまでの長旅にお付き合いくださりありがとうございました。
最後まで読んでくださったあなたとは、何かきっと素敵なご縁があるのでは…と思ってしまいます。
共感でもツッコミでも気になることでも、ちょっと心が動いたところがあったらぜひ気軽に感想やコメントください^^